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| 明六社雜誌第一號 |
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| 洋字を以て國語を書するの論 |
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| 西周 |
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| 吾輩日常二三朋友の盍簪に於て偶當時治亂盛衰の故政治得失の跡など凡て世故に就て談論爰に及ぶ時は動もすればかの歐洲諸國と比較するヿの多かる中に終には彼の文明を羨み我が不開化を歎じ果て果ては人民の愚如何ともするなしと云ふヿに歸して亦欷歔長大息に堪ざる者あり |
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| 夫維新以來賢材も輩出し百度も更張し官省寮司より六十餘縣に至るまで既に昔日の日本に非ず |
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| 其善政美擧も屈指に暇あらざるなり |
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| 然るに退て熟々之を考ふれば百端未だ脱垢の地に至らざる事のみにして善政あれども民其澤を蒙らず美擧あれども得失相償はざる等の事多し |
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| 是何となれば維新以來日たる未だ久しからざれば外面の規模は如何に盛大にもあれ衷情未だ浹洽せざればなり |
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| 是殆猿に衣裳爨婦に舞衣を被せたる如し |
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| 故に上旨は下達せず下情は上伸せずして全身不遂の人の如し |
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| 是を以て間に一二賢明英傑の人有て之を皷舞し之を振起せんと欲するも猶眠りを貪るの兒を醒起し醉倒したる夫を扶助するが如し |
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| 手倦み力竭き己亦從て倒れんとす |
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| 是かの有力者首唱たる者も遂に屈し己の赤心を吐露するヿなく姑く泥を濁らし醨を啜り本意ならざるも糢糊首を俯すに外ならざる所なり |
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| 僕が見る所擧世の通患にて是歸する所賢智の寡く愚不肖の衆くして其勢衆寡敵せざるなり |
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| 是前に所謂人民の愚如何ともするなき者なり |
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| 是盖在上者の政を施し令を行ふ上へにのみ通患たるにあらず |
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| 今日交際上にても苟も衆力を合して一事を企てんと欲する時は必先づ此一險岨の越ゆべからざるを見る |
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| 然るに如此き人民の愚も左提右挈勞來輔翼其苗を揠ヿなく去て耘らざるヿなく時宜を制して漸次開明の域に進ましむるは素より當路諸公の任にして之に反すれば其罪將さに政事上に在らんとす |
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| 然ども此弊に因て斯世の民幸福を蒙るヿを得ず衰弊の極救藥すべからざるに至るは亦獨り政府の罪たるのみならず抑其國人民自己世道上の罪にて苟も賢智の徒たらんとする者は先んじて之を救ふヿなくんば亦世道上に於て其罪なしと謂ふべからず |
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| 今森先生の此學術文章の社を結ばんと欲するも盖亦爰に在るべし |
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| それ所謂學なり術なり文章なりは皆かの愚暗を破り一大艱險を除くの具なれば僕謂ふ |
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| 苟も人民私に世道上に就てかの愚暗の大軍を敗らんと欲すれば之を置て他路なかるべし |
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| 是僕輩駑材謭劣なるも敢て力を陳て列に就かんを願ふ所なり |
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| 然り而て僕竊かに疑なき能はず |
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| 今學術文章を鴻鵠となすと雖ども苟も歩を運ぶの事業あらざれば折角の主意も徒爲に属せんヿなり |
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| それ朋友蓋簪切磋琢磨或は己の見解を陳べ或は疑義を扣問し其討論講究素より其益鮮少ならず |
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| 然ども從事する所の事業あらざれば恐くは愚暗の堅軍を破摧するの大眼目を達するヿ能はざらん |
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| 是僕尤恐るる所なり |
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| 依て拙陋を省みず奇々怪々の一案を呈して聊か社中諸先生の駭愕に供せむとす |
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| 然るに此案眞に愕くべく怪むべく所謂隋珠を暗中に投ずるが如しと雖ども僕謂ふに此社にて此事業を襄成せば希くはかの愚軍を破摧するの先鋒たらんヿ必せり |
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| 今姑く社の題號たる學術文章の三義に就て之を論ずるに所謂學なり術なりは文章有て始めて立つべし |
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| 苟も文章なし |
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| 何をか學とし何をか術とせん |
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| 文は貫道の器なりと古人亦之を言へり |
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| 然るに今其所謂我の文章なる者言ふ所書する所其法を異にして言ふべきは書すべからず |
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| 書すべきは言ふべからず |
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| 是亦文章中の愚なる者にして文章中の一大艱險なり |
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| 盖世の人既に爰に見るあり |
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| 故に今日之を改正せむとするの擧亦なきにあらず |
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| 曰く漢字の數を減じ其數を定む |
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| 曰く和字のみを用ひ和字書を製し和文典を作ると |
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| 其他異論ありと雖是近日の翹楚なり |
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| それ漢字を減定するの説僻見亦至れりと謂ふべし |
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| 今牛羊狐狸同じく一澤に就て飮ふ時は各其腹に充てて已むのみ |
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| 何ぞ其澤の大なるを憾みんや |
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| 其人盖曰ふ |
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| 牛羊腹肚大なり |
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| 大なる者稀にして在り |
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| 狐狸腹肚小なり |
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| 小なる者往々にして在り |
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| 請ふ |
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| 其小なる者を以て其大なる者を概せん |
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| と |
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| 此小識量歐洲に在り數國の活語を兼ね又拉丁希臘希伯利聖斯基利の死語に及者に異なり |
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| 曰く和字のみを用ふと |
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| 是頗理あるに似たり |
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| 然るに和字の制子母音相合す |
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| 其不便焉より大なるはなし |
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| 是後條に至り請ふ |
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| 之を細論せん |
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| 此兩の説僕斷然其與すべからざるを知る |
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| 夫れ方今の勢歐洲の習俗我に入る頗其多きに居る |
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| 勢亦建瓶の如きあり |
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| 衣服なり飮食なり居住なり法律なり政事なり風俗なり其他百工學術に至るまで彼に採るに向はざる者莫し |
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| 而て所謂雜居なり所謂洋教なり是も亦盖遲速あるのみ |
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| 之を永久に期すれば雜居必ず行れざるを得ず |
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| 洋教必ず入らざるを得ず |
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| 今ま人甘蔗を食ふ |
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| 苟も食ふなきは則已ん |
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| 今其佳境に至て之を止めんと欲す |
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| 豈得べけんや |
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| 其勢既に駸々其七を取て其三を遺す能はざれば僕謂ふ |
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| 文字を併せて之を取るに若かず |
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| 夫れ我が國の文字先王始め之を漢土に取て之を用ふ |
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| 那の時文献亦悉く之を漢土に取る |
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| 今一たび世運に逢ふて文献既に之を歐洲に取る |
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| 則ち何ぞ獨り文字を取らざるの説あらんや |
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| 夫れ支那の如き土地廣大人民蕃殖國勢既に巍然而て文物典章亦煥然たり |
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| 之を古に沿れば文明既に歐洲に耻ぢず |
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| 苟陋ならば其陋を守て足れり |
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| 亦何ぞ他に顧るあらん |
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| 然るに而て我國の如き之を從來の經歴に徴し之を國民の性質に質すに襲蹈に長じ模傚に巧にして自ら機軸を出すに短なり |
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| 之を以往文學の一事に徴するに中古白氏を貴べる羅山闇齋等の宋儒を宗とせる中江熊澤等の陽明に源せる蘐園の王李に根せる降れば則袁鍾だも襲蹈するあるに至る |
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| 未だ曾て一人の能く新機軸を出すあるを見ず |
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| 故に我の新は彼の陳たる言を待ざるなり |
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| 夫如此き人民を以て如此き國に居る |
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| 人の長を取て我が長となす亦何の憚るか之有んや |
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| 况や己を捨てて人に從ふは大舜の美徳義を聞て則服するは尼訓の大義事必ず己より出でて心に快しとするは大智の取らざる所今亦何ぞ其陋を守らむや |
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| 僕謂ふ |
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| 我の民自ら機軸を出す能はずと雖ども善を見て遷り長を取て用ふ |
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| 亦美徳なりと |
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| 然るに而て徒に此言を主張せば誰か亦然らずと言はん |
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| 人將さに謂はんとす |
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| 彼の長を採り彼の文字を用ふる固より可なり |
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| 而て天下をして遽かに之を學ばしむるヿ難し |
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| 子其れ之を如何と |
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| 或は曰く彼の文字を用ふる素より可なり |
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| 遂に英語若くは佛語を用ひしむるに若かず |
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| 昔魯國の官府悉く佛語を用ふ |
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| 今則稍自國の語を用ふ |